休日の屋根裏

Nゲージを中心に。たまに撮り鉄

鉄コレ 東武2000系 入線!

今日は久々の入線車両の紹介です。

先日「鉄コレ」から発売された東武2000系!発売日には購入していたのですが、ようやく整備・入線が出来ました。

東武沿線住民としては大変懐かしい車両でして、鉄コレでは以前事業者限定バージョンがリリースされていた様ですが、8両貫通編成としては初のリリースです。
イメージ 1
日比谷線直通 中目黒行き~!

この車両は当時浅草から埼玉東部を通り、伊勢崎線日光線に分岐するいわゆる東武本線の発展に多大な貢献をした車両なのです!

東武のターミナル浅草は戦後大きく発展した山手線から外れたエリアに位置し、アクセスに不便さが生じていました。そんななか営団地下鉄日比谷線が北千住を経由し東武と相互乗り入れを始めるにあたって登場したのがこの2000系でした。

いきなり埼玉の東武沿線から乗り換えなしに上野・秋葉原・銀座・霞が関・六本木など都心に直結できる様になりました。
そのため沿線は人口増加が著しくなり、東武としても大きな転換期となったのです。

2000系も当初は4両編成で始まり、以後順次6両化、最後は8両編成となりました。
今回のモデルは1980年頃の編成がプロトタイプとの事です。

私は通学では伊勢崎線は使用しませんでしたが、祖父母が梅島に当時住んでいたり、竹ノ塚に知り合いがいたりと、何かと乗車機会は沢山ありました。

当時は、春日部で上りを待っていて、この2000系が来ると「あ~各駅だぁ」とガッカリし、見送り、後続の準急に乗りますが、目的地に準急が止まらないので結局また準急を降り、2000系や営団3000系に最後はお世話になっていました。

イメージ 2
1980年はまだ東武動物公園駅ではなく杉戸駅でした。
「北春日部行」が多かったのですね。

サイドの「地下鉄線直通」は誤乗車防止の為にありました。自分が乗っていた頃は少し後の「日比谷線直通」表記時代でした。

イメージ 3
今回は導入と同時に贅沢に「N」化しました。

18M車体に非冷房のスッキリした屋根上。

セイジクリーム塗装は当時はなんでこんなつまらない色なんだ?と思っていましたが、今は懐かしさでいっぱいです・・・。

イメージ 4
1993年まで活躍したとの事です。

もう24年も前?つい最近まで走っていた様な感覚があるのですがね~。
後継の20000系も今後70000系に交代される様ですからね・・・。
これが居ると営団3000系マッコウクジラも欲しくなりますねぇ・・・。

イメージ 5
左・鉄コレ東武2000系  右・鉄コレ東武8000系

いわゆる「東武顔」。意外にも2000系の方が先に登場しています。大窓と運転室上のルーバー、運転室窓横の地下鉄アンテナが特徴です。
似ている両形式ですが並べると違いが良く分かりますね。2000系の方がスッキリしたデザインですかね。

製品は実車との車番に関わる仕様の細かい違いが指摘されている様ですが私は全く気にしないので、とりあえず行き先表記を「中目黒」反対は「北春日部」にして楽しみます。(デフォは竹ノ塚でした)。

イメージ 6
各駅停車なので6000系「だいや」に道を譲りま~す!

各駅で東武区間を走る2000系ですが、同時に東京のど真ん中まで行く重要な役割を担い、今も沿線の多くの人々の記憶に残っているのでしょうね。