休日の屋根裏

Nゲージを中心に。たまに撮り鉄

「僕」が鉄から離れた日 前編

今日はいきなり秋を感じさせるような一日で、久しぶりに過ごしやすかったです。
 
この「平成最後の夏」の「平成最後の夏季休暇」、半分以上重い夏風邪にかかりダウンしていました・・・。
初日と2日目は秩父の実家に遊びに行き天空のパワースポット三峯神社に行ってきましたが、翌日からダウン(三峯神社のせいではありません)。
 
後半は家族旅行の計画で、熱は下がってきましたが大事をとり私抜きで決行(お義母さんに代わりに行って頂きました)
 
自宅で高校野球の熱戦を、リアル熱を帯びながら観戦していました(笑)!
 
高校野球は好きで、ドラマチックですね。みんな純粋で一生懸命だからなんでしょうね。
 
そんな中、私もまだ純粋だった頃の「平成最初の夏」を振り返ってみます。
(超個人的な長文です)
 
現在の埼玉県さいたま市で育った私は1982年(小学2年)の頃学研の「2年の科学」(ご存知ない方もいらっしゃると思いますが、学研のおばちゃんが届けてくれる付録付き月刊誌)
に当時開業したての東北新幹線の特集が組まれ、0系しかこの世に存在しなかった新幹線に鮮やかなグリーンラインが貫かれ、耐寒耐雪強化の最強の装備でデビューとあり、母親にお願いして当時まだ新幹線始発駅だった大宮駅に200系を見に行きました。
 
大宮駅で見たのは200系新幹線はもちろん、485系189系などの図鑑でしか見たことのない列車が行き交う光景で、一気に鉄へ引き寄せられて行きました。
 
友人の中に鉄好きも何人かいて、その中の一人の家にはNゲージがあり、KATOの485系TGV、24系などがあり、夕方遅くまで入り浸っていたりしました。
 
5年生頃から友人と何人かでたまに大宮駅に写真を撮りに行っていました。主に土曜の午後に。当時は土曜は午前授業ありましたからね~。
イメージ 1
 
生涯最初の鉄道写真。 1985年夏 国鉄大宮駅にて。
8番線に入線する189系下り「あさま」。
 
「あさま」「あいづ」「白山」「そよかぜ」「つばさ」や185系の「新特急」やジョイフルトレインなど、数時間だけでも多くの名列車が見られました。さすがにブルトレは時間帯もあり撮れませんでしたが。
 
8・9番線の階段下には立ち食いそば屋があり、そのつゆの香りが常にホームに漂っていまして、ターミナル駅らしい雰囲気が大好きでした。
 
やがて6年生になり、お年玉で初めてのNゲージを買いました。TOMIXのEF65PFと24系25形。嬉しくて毎日線路を居間に出して走らせていました。
 
そういった生活をしているうちに心に決めたのは将来、「鉄道を仕事にしよう」と。
小学校から中学へに切り替えと同時の1987年4月1日、国鉄は分割民営化され新たにJRとして最出発しました。そして小学校の卒業文集のコラムに将来「車掌になる!」と書きました。「車掌になりたい」ではなく本当になるつもりでしたから、「なる!」と。
 
中学では部活漬けの生活になりましたが、たまに大宮駅やヒガハスまで撮影にも行きました。中学2年になる少し前での「北斗星」のデビューも大宮駅まで駆けつけました。
 
夢へまっすぐに歩いていた中学生でしたがその1年少し後に人生のポイントが切り替わって行きます・・。ガーン!
 
内容長いので後編に続きます。
「平成最初の夏」まで話しが進んでませんでしたね…。
(次回水曜頃更新予定)